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ハワイの歴史

ハワイの人はどこから来たの?

19世紀に宣教師によって文字がもたらされるまで文字がなかったため、具体的なことは解明されていませんが、
溶岩に書かれたペトログリフと呼ばれる絵文字や遺跡の放射性炭素年代測定、ハワイに伝わる神話や歌などにより、ハワイアンの祖先は紀元前500年前後から8世紀の間に、
ハワイから三千キロほど南東にあるマルキーズ諸島(マルケサス諸島)からアウトリガーカヌーでやってきたと推測されています。
タヒチやニュージーランドのマオリと同じ起源にさかのぼるポリネシア人です。

1976年には丸木舟による検証航海も行われ、無事に30日ほどで到着。
当時の航海術で3000キロも移動することができたことが検証されました。
しかも、先住民たちは何度かに渡って往復し、ココナッツやバナナ、タロイモと言った食糧になる植物、豚や鳥などの家畜をハワイ諸島にもたらしたと考えられています。

 

カメハメハ大王の日

長らく大族長による島単位の王国であったのが、1795年にカメハメハ大王によりハワイ王国の建国が宣言され、1810年に統一されました。

ホノルルのダウンタウンの最高裁判所前にある、有名なカメハメハ大王の像は観光ツアーにも含まれています。
左手に持つやりは平和を、右手を掲げているのは、ハワイの繁栄を表していると言われています。
そのカメハメハ大王の偉業をたたえ、その誕生日である6月11日をカメハメハ5世により「カメハメハ大王の日」と制定され、現在もハワイ州の祝日となっています。

1820年には宣教師がハワイを多く訪れ、キリスト教化が進んだ結果、ハワイ古来の宗教は衰退していきます。
カメハメハ大王ことカメハメハ1世から続いたカメハメハ家による統治は、1872年にカメハメハ5世が亡くなったことにより終焉を迎えました。

カメハメハ5世が跡継ぎを指名せずに亡くなったため、その後は、なんと国王選挙が行われ、カメハメハ大王の異母兄弟の孫のルナリロが国王に選出されました。
しかし、ルナリロもわずか1年程度で後継者を決めずに逝去したため、再び国王選挙が開催されました。

1874年にはカラカウアが選出され、その逝去後は、カラカウア国王が予め指名していた通り、妹のリリウオカラニがハワイ女王となりました。

ハワイへ渡った移民

日本はハワイ王国との間に、1867年には日布親善協定を締結し、翌年から移民がハワイに渡り始めました。ヨーロッパからもたらされた病気により、人口が減少していたことも手伝い、ハワイ王国は日本からの移民を多く受け入れました。

当時は東京にハワイ王国の公館があったり、天皇家とハワイ王家の姻戚も日本を訪問したカラカウア国王から提案されるなど、密接な関係がありましたが、日本政府はアメリカ政府との関係をかんがみ、この縁談はお断りしたとか。

日本からの移民は1924年に排日移民法が施行されるまで断続的に続き、最終的な移民者は21万人にのぼりました。
そのため、現在も13パーセントに相当する18万5千人あまりの日系人とそれを超える混血人種がハワイに暮らしています。

 

アメリカ合衆国50番目の州に

1893年に、親米派によるクーデターによってハワイ共和国が樹立され、ハワイ王政は終わりを告げることとなりました。最初の大統領には、「パイナップル王」と呼ばれたジェームズ・ドールのいとこサンフォード・ドールが選ばれています。
5年後の1898年にはハワイ準州として、アメリカ合衆国の一部となり、ドールは初代知事に任命されました。
1959年には、アメリカ50番目の州に昇格し、これにより、3万人以上の日系人がアメリカ本土に渡ったと言われています。

パイナップルやさとうきびの栽培で潤っていた時代から一転、現在ではアメリカ合衆国の重要な軍事拠点の1つとして、また世界中から羨望を集める観光都市として発展を遂げています。
今日では混血が進むことで失われていくハワイ先住民の血や言語、文化を保護運動の気運が高まっています。

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